自分のところの品質を考えてみる

Twitterで話題になっていた品質について、系統だって考えたこともないし、きちんとした解答を持っているわけでもないので、今の自分の思っているところは何かを考えてみた。以下の2つを思いついた。

  1. ユーザーが特に良いとも悪いとも感じない
  2. 次のバージョンアップではどうなるのかな、という淡い期待を抱かせる

1は、決して見た目が派手とか、素晴らしい機能、使っているうちに味が出てくる機能の実装を目指しているわけではないが、普段使っている範囲で使いにくいと思わせない程度に機能性がまとまっていて、かつ何か変だと感じさせる不具合が除去されている状態である。逆に言うと、1年に1度くらい発現する不具合を取るまでやっているかというと、そこまで追求していないと思うし、テストの深さも、必要以上に深く掘り下げないが、これだというテストは、多少時間がかかってもやるようにしている。また報告された不具合の修正も、修正コストとその不具合の市場での重篤度の比較を常に考えるようにしている。ただどちらも、どこまでやるかは私やサブリーダーが決めることが多く、それはほぼ経験と勘しか根拠がない。
2には、常に向上しているソフトの姿をわかるように見せるという意味だ。私のところでは、いわゆる組み込み系ソフトの開発をしており、内製ハードウエア上で稼動していて、定期的にハードも含めた、システムのバージョンアップが行われる。ユーザーは数年使うと、それなりの回数のバージョンアップを受けることができるので、その都度、ソフトの向上に期待を持たせることが目標となっている。そのためには、バージョンごとにそのソフトに対する印象や不満を、ユーザーからとり続けていく必要があり、また世の中の動向や、時にはちょっとキャッチーな機能を入れる必要もある。そういった活動が停止したソフトは、仮に活動が停止した状態のまま、数年耐えられる機能性があったとしても、使われなくなったり、場合によっては他社に乗り換えられてしまうこともある。どんな些細なことでも、ユーザーにとって変化し続けていることが安心感、信頼感につながっているのだと思う。
私は、いつかは100点にしたいと思いつつも、常に70点のソフトを作ろうとしているのだと思う。次がある(バージョンアップ)ことに甘んじている証拠だ。だから一発しか無いタイプのソフトは、その一発で100点に近い点数を求められるのだから、大変だと想像できる。でもそれは少し不自然な感じもする。もし同じ期間で複数回のリリースをすれば、発注側も安心できるからだ。甘んじてはいけないけれど、70点の品質を何度も何度もフィードバックを得ながら向上させて行くのが心身ともに健全だと、私は思っている。